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さよなら初めての恋(4)

さよなら初めての恋(1)
さよなら初めての恋(2)
さよなら初めての恋(3)
さよなら初めての恋(番外編1)
さよなら初めての恋(番外編2)
のつづきです。



 俺の得意な仕事は、美女のボディ・ガードだ。ここ10年分の記憶を失っていても、それはまったく変わらない。
 なぜ美女のボディ・ガードが得意なのか?それは、金の代わりに体で報酬を払ってもらうその行為自体が、俺の得意分野だからだ。つまり、オンナを落として肉体関係に持ちこんで、イカせること。イカせまくること。報酬となる金なんぞ、あとで犯人からたんまり巻き上げればいい。
 得られるものは多いが、失うものなど何もない。依頼人にとっても、俺にとっても。
 Win Winの関係だ。

「さ。ここが俺のアパートだよ」
 老朽化した扉を開けてみせると、香は表情を変えずにうなずいて、俺よりも先に階段をのぼっていった。
 出会ったばかりの男の家だというのに、戸惑いを見せないということは、やはり鈍感なのだろうか。変わった女だ。
 だが、鈍感な女のほうが、肉体関係に持ち込みやすくて、都合がいい。
「ぐふ」
 ジーンズに包まれた丸い尻が揺れるのを眺め、俺はひそかに口笛を吹いてから、彼女のあとを追って階段をのぼった。
 いまの俺の記憶には残っていないが、ボディ・ガードの仕事の際には、依頼人をこのアパートに泊めてきたことが容易に想像できる。なぜなら、記憶を失った後に戻ってきたこのアパートには、所々に女の手が入っていたからだ。すみずみまで掃除されていて、キッチンは丁寧に使いこまれた跡があった。多分、仕事の都度、依頼人をここに泊めて、いい関係に持っていっていたに違いない。
 ボディ・ガードほど楽な仕事はない。ストーカーなんぞ、腰抜かし野郎ばかりだから、見つけ出して脅せばすぐに解決するのが相場だ。
 それよりも、依頼人(女)を落とすことこそが、仕事の山場であり、本領発揮の場だ。とくに今回は、これほどの美女が依頼人だなんて、幸運だ。なんて幸運なんだ。記憶を失ってからは少し厄介なこともあったが、ようやく運が向いてきたようだ。
「ぐふふ」
 香をリビングに招き入れ、明かりを点けて扉を閉めると、獲物を捕らえた虎のように、俺の体の底から本能がよみがえり始める。
 ゆるみすぎて溶けて落ちそうになった頬を手のひらでさりげなく押さえ、俺は香の肩に手をかけた。香はびくり、と肩をゆらす。
「ここなら君の身は安全だ。キッチンはあっちで、バスルームはそこだよ。好きなだけ風呂に入ってのんびりしてくれていい。ボクちゃんがお背中を流してあげようか?ぐふ」
 香はくるり、と振り返って、俺を見つめた。その瞳は氷のように冷えて、逆三角形をしていた。
「か、香ちゃん?・・・どうしたのかな?」
 涎がこぼれているのだろうか。俺の口元を見つめる香の眉間には深いしわが刻み込まれ、怒りのあまりぷるぷると体を揺らしている。
 俺は咳払いをして、二枚目の顔に戻した。
 いかんいかん。
 彼女の口説くのは、まだ早い。早すぎる。ここ日本では、急いては事をし損じる、と言うじゃないか。
「ゴホン。あー、心配することはない。俺の部屋は上の階だから、きみはここでひとりでゆっくりするといい」
「あの・・・冴羽さんは今、一人暮らし?」
「ああ、ひとりだ。時々猫がいるみたいだが」
「え?猫?」
 ソファに目を向けると、今夜も、白猫の姿はなかった。
「あ、いや、あれは飼ってたわけじゃなくて、野良猫が紛れ込んだだけかもしれんな、たまたま」
 香は不思議そうな顔をして、俺の顔に数式でも書いてあるかのように、眺め回している。
「あーそうそう、そこの『客間』にベッドがあるから、自由に使ってくれ。箪笥の中にシーツもあったはずだ。掃除してないから、ちょっと埃がたまってるかもしれんが・・・」
「大丈夫よ」
「おれは上の階の部屋にいるから、何かあったら声を出してくれたらすぐに駆けつける。いや、声を出さなくても、すぐに駆けつけるから心配いらない」
 そう言って背中を押して促すと、香は俺に背を向けて、まっすぐに客間に進んでいった。そして、扉を開けて中に入っていった。
 ぱたん。
 扉が閉まる。
 行動力のある女だ。
 たいていの女というものは、そう簡単に一人暮らしの男の家に入らないし、入った場合には色目を使って甘えてくるもんだが、香はそのどちらでもない。男のような心理構造なのだろうか。
 だが、彼女の家には男と暮らした形跡があった。ということは、やはり恋人がいたのだろう。とすると香を狙ってきた男はその関係者だろうか。そうならば、まず香の男性関係を洗い出さねばならないだろう。何か隠しているようだが、会話を重ねていけば、いずれ明るみに出るに違いない。
 そんなことを考えていると、客間の扉が開いて、香が顔を突き出した。
「掃除機ある?それから雑巾も」
「あ?掃除機?ああ。そこに、あるけど?」
「掃除するわ」
 香はそう言ってシャツの腕をまくり上げて、大掃除に取りかかった。深夜だと言うのに元気なことだ。
 鈍感なのか、それとも、警戒心が強いのか、彼女の行動パターンがまったく読み取れないから、どうも調子が狂う。
 ひとまず、今夜はおとなしく眠るとしよう。そう思った俺は、階段をのぼって自室のベッドに横たわった。
 彼女を口説くのは、まだ早い。


*


「おはよ~香ちゃん」
「もうお昼よ」
 翌日、昼過ぎに起きて顔を洗い、リビングに足を踏み入れると、香は昨夜と同じ格好で手に雑巾を持って、リビングとキッチンを忙しなく往復していた。
 どうやらカーテンまで洗ったようで、開いた窓辺で揺れるカーテンから淡いフローラルの柔軟剤の匂いが漂っている。
 壁も磨いたのだろう。午後の日差しをつややかに反射している。
「そぉんなに熱心に掃除しなくてもいいのに」
 そう言ってソファに腰を埋めると、目の前のテーブルの上に水の入ったグラスが置かれる。気の利く良い女だこと。
「お、サンキュー」
「お世話になってるんだから、お礼よ」
「お礼ならば、ほかのもので払ってほしいなぁ、なーんて」
「え?ほかのものって?」
「いや、それは、そのぉ」
 香の瞳がまっすぐに俺を見つめてくるから、どう返答したものか考えて込んでしまう。
 どうも調子が狂う。
 この10年のあいだ、俺はどうやって依頼人を口説き落としていたんだろうか。女の口説き方に関する記憶も失っちまったかのようだ。
「うう~む。そうだ、ほら、あれだよ、あれ、オトコとオンナのあいだで、貸し借りを返すっつったら・・・」
「あ、料理のことね!」
 香はそう言って腰に手をあてて胸をはった。形の良い胸が、白いシャツ越しに浮き上がる。
「あ?ああ・・・まあ・・・料理でもいいかな、とりあえず」
「作ってあるわよ」
「へ?」
「肉じゃがと、鰤の照り焼きと、オムレツと・・・それから、お味噌汁」
「へ」


*


「うまい!」
「え」
 香が驚いた顔をして、箸をテーブルの上に落とした。
 俺は肉じゃがと鰤を一気に口に詰め込んで飲み込んでから、空っぽになった皿を手渡して「おかわりある?」と尋ねた。
「こんな旨い飯、初めて食べたよ。香ちゃん、料理上手なんだねぇ。ほんとに恋人とか、いないのか?」
「いません」
「う~ん、それはもったいない。美人で掃除も料理も上手なのに、世の男どもの目は節穴だね!」
 野菜がたっぷり入ったオムレツを一口で平らげて、その皿を香の目の前に突きつけて「おかわりくれる?」と言いながら、二皿目の鰤の照り焼きに箸をつけて、口の中に放り込む。甘辛い味の染みた鰤が口の中で溶けていく。
「正直、和食の味はよくわからんが、これは本当に旨い。いままで香ちゃんの手料理を食べた男は何人くらいいるんだ?」
「え・・・あ・・・兄貴だけよ」
「それはもったいない!この肉じゃがなんて、俺の行きつけの小料理屋よりも旨いぜ?うんうん。プロ並みの腕だ」
 そう言って、俺が褒めれば褒めるほど、なぜか香の顔色は暗くなっていく。
「香ちゃん、調理師免許とか持ってるの?」
「・・・もってない」
「掃除も得意だし。じゃあ、家政婦みたいな仕事をしてたとか?」
「そ・・・そんなこと、してないわよ・・・」
「そっかぁ。もったいないなぁ、きみみたいな逸材が毎晩ひとりで過ごしているなんて」
 香の肩が怒る。あと一押しだ。女というものは、感情的に揺さぶれば、真実を口にするもんだ。
「それにぃ、きみ、いいカラダしてるしぃ?ひとりでその体を持て余してるなんて、もったいないよなぁ!」
「あ、あ、あんた・・・さっきから黙って聞いてれば!あたしのことバカにして・・・!」
 そう言った途端、香がどこからか、大きなハンマーを持ち出して、それを大きく振り上げた。
「お・・・っと!」
 俺はそれを片手で取り上げる。
 すると、香は目を丸くして、ハンマーが無くなった手を不思議そうに眺めた。
「危ないなぁ。そんなものをどこに隠してたんだ?」
「え・・・」
 香が悲しそうに肩をすくめる。
「いや、すまんすまん。俺の聞き方が悪かった。香ちゃん、何か大事なことを隠してるのかな~って思ってさ」
「な・・・何かって?」
「ほら、美人で料理上手なのに恋人がいないっていうことは、好きな男がいるんだろ?そいつが、昨夜の男と関係してるんじゃないかな~ってさ。俺、そういう勘は鋭いから、ピンと来たんだけどね」
 軽い調子で探りを入れるも、香は俺から目をそらしてしまい、何も言おうとしない。
「片思いしてるのかな?それとも、禁断の恋ってやつか?言いたくないだろうから、言わなくてもいいぜ。だが、もし香ちゃんを振るような男がいたら、俺がそいつを殺してやるよ」
「え・・・っ」
「いやいや、冗談。ジョークだよ、殺しなんて俺には無理さ。たとえ話だよ。俺はただの探偵だからさ。ハハハ!」
 香の瞳が、暗い湖に浮かぶ月の光のように、はかなく揺れた。 
 そうだ。
 昨夜からずっと気になっていたのは、香の瞳に宿る深い悲しみの色だ。この瞳をみると、なぜか俺の胸の奥が、まるで雑巾を絞られたように痛み、同時に頭の奥が熱くなる。
 女性の美しさというものは、ありとあらゆる悲しみの総称なのかもしれない。そんなことを思わせる女を、俺は、これまでみたことがなかった。
「・・・昨夜から気になっていたんだが、香ちゃんって時々、悲しそうな目をするよなぁ。そんな悲しい顔をさせる男のことなんか、忘れちまったほうがいい。せっかくの美人が台無しだ。俺に出来ることがあったら、手を貸すぜ?」
 香が顔をあげて、俺の目を見つめた。
「俺はたいした仕事はしてないが、美女の依頼は絶対に断らない。香ちゃんみたいな女性には、幸せでいてほしいからさ。きみを傷つける男のことは・・・俺が忘れさせてやるよ」
 本音と口説き文句が相まって、俺の口が陳腐な台詞が滑り出た。
 すると、香の頬が徐々に赤く染まっていって、目が潤み始めた。
 普通の女は、褒められると色っぽく微笑むものなんだが。どうも調子が狂う。
「お・・・おい、どうした?」 
「ううん、ちょっと思い出したことがあって」
「なにを思い出したんだ?」
「いいの」
「言ってくれれば、力になってやれるかもしれないぜ?」
「いいの。ほんとに」
 もう少しで探り出せそうな気配がしたのだが、香はきっぱりとした口調で拒んだ。そこには清々しい決意のようなものが感じられた。不思議な女だ。
「そんなことより、冴羽さん?おかわり、要る?まだいっぱいあるのよ!」
「あ・・・ああ。頼む」
 肉じゃがを山のように乗せた皿が俺の前に置かれ、俺の興味の対象は、香から料理に移った。
 アメリカから渡ってきてこの街に居座っていても、和食を好んで食べることはなかったはずなのだが、それなのに、香の作った料理は、なぜか、なつかしい味がした。


*


『記憶というものは、人間が有する種族維持本能の一種である。記憶を積み重ねることで、人間は進化を遂げ、より生き延びやすい思考パターンを作り、それが遺伝子情報に組み込まれていく。だから、記憶というものは、その性質上、そう簡単には消えないものである。特に本人にとって生存本能に近い重要な記憶に関しては、消えたようにみせかけて、脳の奥底に沈んでいる場合が多いのだ。そして、その記憶は、現在の本人の判断能力に影響を及ぼしている。それはまるで、本人を支配する王者のように。』(「記憶と生存本能の秘密(デヴィット・ガンディ著)」)


*

 日が落ちて空が暗くなると、新宿の街はさまざまな色の電灯に照らされて明るくなる。
 散歩と称した巡回から戻ってリビングの扉を開けると、ソファの上で白猫が眠ってた。
 やはり俺は猫を飼っていたのだ。ならば、なぜ海坊主たちはそれを否定したんだ?やはり俺の脳には異常があるのか?
 かすかな頭痛を感じながら、ソファに近づいてみると、白くて丸いものの正体は、香だった。ジーンズに白いシャツ姿の香が、膝をかかえて丸くなって眠っている。
 朝に干した大量の洗濯物が乾き、それらの衣類を畳む途中で居眠ったのだろう。畳みかけのタオル類に顔を埋めている。
 俺がタオルケットを一枚とって、その肩に掛けてやると、香は身じろいで目を開けた。
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・眠っちゃったみたい」
「いや、疲れてるんだろう。昨夜は眠れなかったんじゃないのか?ずいぶん意気込んで掃除してたからね。きれい好きなのはいいことだが、無理はよくない」
「ううん・・・」
「起きなくていい。眠ってていいんだよ」
「大丈夫」
 香があくびをしながら、猫のようにしなやかに伸びをして身を起こす。
 そして、きらめく琥珀色の瞳が、俺を見あげた。
 目のきわに、涙の跡があった。泣いていたのだろう。だが、なぜ?なぜ、香はいつも悲しそうなんだ?
 謎はいまだ解明していないが、その鍵は、昨夜ナイフで香を襲った男にある。
「ちょっと出かけようか」
「え?出かけるの?」
「犯人をおびき寄せるのさ。きみを追っていたのはストーカーだろうから、恋人のふりをしていれば尻尾を出すだろうと思ってね」
「あ!そうね!そうしましょ」
 香が立ち上がると、寝癖のついた髪から、やわらかな日だまりのような匂いが漂ってきた。
 思わず抱き寄せたくなり、俺の手が勝手に伸びるが、寸前のところで押しとどめる。
 彼女を口説くのは、まだ早い。
「せっかくだから、とっておきのバーに連れて行ってあげるよ」
「え、バー?でも、あたし、こんな服しか・・・」
 そう言って、香はジーンズを見下ろしてため息をついた。色あせたジーンズは、美しい体のラインにフィットしている。
「それで十分だ。きみは何を着ても魅力的さ」
「え、な、なに言って・・・っ」
 俺がウインクしてみせると、香は頬を染めてうつむいた。
 そんな彼女の目の前に、俺は手を差し出す。
「え」
「恋人のふり」
「あ・・・うん」
 香が、おずおずと、俺の手に手を重ねた。
 ほっそりとして、やわらかく、滑らかで、心のくぼみにぴったりとはめこまれるような感触。これだ。この感触。俺がその手を握ると、香の頬がさらに赤くなった。
 俺は、嫌われているわけではないらしい。
 そう思うと、なぜか胸が詰まって息が吸いにくくなった。胸が押し込まれたような、背中がそわそわするような、変な感覚。これは、いったい、なんなんだ。


*



 人間の欲望がむき出しになって形どった街。それが歌舞伎町。
 香を連れて、夜の繁華街を歩いていく。
 通り過ぎるチンピラどもが、俺と香をみて、目を見開いてから、目を伏せる。
 俺を恐れているだけでなく、俺が美女を連れているのが、そんなにも珍しいのだろうか。
 記憶を失った10年のあいだも、こうして俺は美女を連れて夜な夜な繁華街を歩いていたはずなのだが。それにしては、この感覚は初めてのような気もする。むず痒いような、息苦しいような。おかしなもんだ。
 思い切って、香の肩を引き寄せると、香は真っ赤な顔をしてうつむいたから、俺は髪を掻きむしりながら、あえて陽気な声を出してみた。
「どぉしたの?香ちゃん。きみのような美女なら、こんなデートは慣れてるんだろう?」
「そ、それは・・・その・・・」
「あ、それとも、遠慮してるのかな?」
「え、んりょ?・・・そ、そうかも」
「遠慮なんかしなくていい。今夜は、俺がきみの恋人になるんだから」
「え」
「どうした?嫌かい?」
「・・・いやじゃないけど」
「じゃあ、決まり!今夜、一晩だけ、俺たちは恋人だ」
 こんな台詞はアメリカに居た頃に使い古していたもので、お決まりの口説き文句のはずなのだが、錆び付いた箱をこじ開けるような、ざらざらとした感触が背筋をのぼっていく。おかしなもんだ。
 たぶん、香が、この辺りの女性たちよりもガードが固いせいだ。
 だが、どんな女も、俺と数時間過ごせば、俺の手に落ちて、俺の前に体を投げ出すことになる。そして、めくるめく快楽に溺れる一夜になる。
 そんなことを考えながら、路地裏の道を入っていく。
 バーの重たい扉を開けると、ビリー・ホリデーの深い声が、俺たちを出迎えた。
「いらっしゃいませ」

 ガタン・・・ッ!

 マスターの声にかぶさるように、大きな音がして、スツールから男が立ち上がった。グレーのスーツに身を包んだその男は、ミックだ。
「なんだよ、ミック、いたのか」
「リョ、リョウ・・・!」
 ミックは、手にしていたクラッカーを床に落とし、目線を俺と香に交互に向けて、目を見開いた。
 ミックが物を落とすことは珍しい。手袋の中にある手には、俺の知らない死闘が刻まれているに違いない。
 ミックは、驚きのあまり蒼白な顔をして、香と俺を交互に見つめていた。
「おいおい、ミック、どうした?」
 俺の隣で、香の体もこわばっている。
「あー香ちゃん、大丈夫だよ。こいつは、おれの元相棒のミックっていうんだ。こんな風貌だが、怪しいやつじゃないから、安心していい」
 香にミックを紹介すると、香は「は、はじめまして」と言って会釈した。
「はじめまして、カオリ・・・」
 ミックが意味深な目で香を見つめた。
「なぁんだよ、ミック。香ちゃんは、今夜の、俺の恋人。だからじろじろ見るんじゃねえよ!」
 そう言うと、ミックが碧海色の目を丸くした。
「Oh!恋人だって?リョウの恋人?カオリが?」
「ばか、香ちゃんを呼び捨てにするんじゃねぇよ。めったにお目にかかれない美女だろ?」
「フッ、そりゃあそうだ!カオリは世界一の美女さ。で、リョウとカオリちゃんは、どこで知り合ったんだ?」
「おまえには関係ねぇよ!邪魔すんな。今夜の俺の楽しみを奪うんじゃねぇよ。あっち行けって」
 俺はそう言ってミックを手で追い払い、香の腰を引き寄せて、スツールに腰かけた。
「邪魔が入っちまったな。悪いヤツじゃないんだが」
「大丈夫よ」
 香が小さく微笑む。
「いつものでいいですか?」
 カウンターの奥からカラスのマスターが顔を出した。その黒髪は薄暗い店内でもつややかに輝いている。
「いや、今日はデートだからぁ、俺はギムレットで、香ちゃんは・・・何がいいかなぁ?」
「『ピュア・ラブ』とかいかがでしょう?彼女の雰囲気に似合いそうですよ」
「そうだな、それにしよう」
 ジンのリキュールをベースに、フランボワーズのリキュールとレモンジュースを加え、さらにジンジャーエールを加えたものだ。大人になりきれない少女を思わせる彼女にぴったりかもしれない。
「俺たちの出会いに・・・乾杯」
 美しいグラスを合わせ、キザな台詞を吐いてウインクしてみせると、香がまた頬を染めた。その横顔は儚く、悲しげにみえる。
 途端に俺は、香が想いを寄せている男の存在が憎らしくなった。見つけ出して殺してやる、と思いながらギムレットを一気にあおった。
 ビリー・ホリデーの歌声が終わり、チェット・ベイカーのクールな歌声が店内に静かなオブラートをかけて満たした。

Lately . . .♪
I find myself out gazin’ at stars,
Hearing guitars,
Like someone in love . . .

Sometimes . . .
The things I do astound me,
Mostly . . .
Whenever you’re around me . . .♪

Lately . . .
I seem to walk, as though I had wings,
Bump into things,
Like someone in love . . .♪

Each time I look at you,(きみを見るたびに)
I’m limp as a glove,(力が抜けて軟体動物みたいになっちまう)
An’ feelin’ like someone in love . . .(まるで恋してるみたいな気分さ...)

 俺は、香の肩を抱き寄せた。
「今夜は嫌なことは忘れて、楽しもうぜ」
 耳元でそうささやくと、香はうつむいて、グラスの縁を指でたどりながら、しばらくの間、口を閉ざしていた。
 それから、何かを決心したかのように、顔をあげて、俺をまっすぐに見つめた。
「そうするわ。楽しむことにする」
 そう言って、明るい笑みを向けてきた。その笑顔に、俺は、心臓を打ち抜かれたような衝撃を受けた。
 それは、どこにでもある普通の笑顔だった。女の笑顔など、日々、見飽きているはずだが、なぜか、この女の笑顔には、喉がしめつけられるような息苦しさと、胸の奥をかきむしりたくなるような、歯がゆさと、甘酸っぱさと切なさを感じた。
 ギムレットのせいだ。ギムレットが効いているだけだ。今夜の酒は、マスターがわざと濃くアレンジしているに違いない。そんなことを思いながら呆けている俺の隣で、香は店内をぐるりと眺め回してから、壁に掛かっている絵を見て、指でさした。
「あれ、綺麗な絵ね」
「あ?ああ。あれは、ここの常連客が描いたんだと」
「へえ、すごい。緑の奥のほうは、森?なんのイメージの絵なのかしら?」
「あーなんだっけな・・・」
 先日ここに来たときに、絵のタイトルを聞いたはずだが、思い出せない。
「『純愛の森』だよ!」
 遠くに座ってたはずのミックが、会話に割り込んできた。地獄耳だ。
「ミックはすっこんでろ!俺たちの恋路の邪魔すんな」
 俺がそう言うと、ミックが可笑しそうに笑った。現役の頃のミックは、こんなふうに心から安らいだ笑い方をするようなヤツじゃなかった。
「純愛の森・・・。素敵な名前ね」
 深い森の奥は、見えそうで見えない暗闇だ。森の入り口にはツタが絡まっていて、周囲を真っ白いものが点々と覆っている。白いもの?
「あれ?この白いのは、なんだ?昨日みたときもあったかなぁ?」
 目を細めて、絵を凝視していると、カラスがカウンターから顔を出して微笑んだ。
「それは、花のつぼみですよ。芽吹きの季節なんです」


*



「おい、リョウ」
 香が洗面所に行った隙に、ミックが近寄ってきた。手袋で覆われた手が、俺の肩をつかむ。
「んだよ」
「カオリちゃん、依頼人なのか?」
「おめぇには関係ねぇつったろ」
「カノジョ、だれかに狙われてるのか?リョウに依頼してきたのか?」
「ったく、しつこいやつだな」
 無視しようとするも、ミックの目が真剣な色を帯びているから、無碍にできなかった。
「依頼とは厳密には違うが、似たようなもんだ。男に狙われてたところを、俺が助けたの。偶然な」
「ほう?ぐうぜん?」
「なんだよ」
「いや、べつに~」
 ミックは何か考えこむように、指をこめかみにあてて首をかしげた。何を企んでいるんだろう。
「おまえさぁ、香ちゃんが美人だからって、ちょっかい出すなよ」
「リョウ・・・。オマエ、少し、記憶が戻ったのか?」
「いや、まったく戻ってないが。だが、仕事にももっこりにも、支障はないさ!」
 そう言うと、ミックの表情が険しくなった。
「カオリを傷つけるなよ。いつもの女みたいに、やり逃げするのは」
「なんでおまえにそんなこと言われなきゃならんのだ?香ちゃんのことをなぜ、おまえが気にする?」
「あ、それはだな・・・」
 アメリカで活動していた頃の俺は、毎晩違う女を連れ歩き、毎晩違う女と寝ていたが、そのことにミックが口を出したことは一度もなかった。なぜなら、ミックも同じような状況だったからだ。いや、ミックの場合は、複数の女たちと同時に寝ることが多かったようだが。
 俺たちは、利害が一致すればパートナーとして活動し、利害が相反すれば敵対することもあった。互いに腕が互角だと承知していたため、真っ向からやり合ったことは一度もない。常に視界の隅でその存在を捉えながらも、互いの女関係に興味を抱いたことすら、一度もなかった。女遊びなど、所詮、排泄行為にすぎない。そして、男というものは、他人の排泄行為に興味など持たないもんだ。
 そんなミックが、なぜ、今夜は、俺の女遊び(排泄行為の一環)に口を出すのだろうか。この10年のあいだにミックに何があったのか、俺は知らない。だが、恋愛観が変わるほどの純愛でもしたのだろうか。その恋愛観を押し付けられるいわれはない。ミックは変わったのかもしれないが、俺は変わっていないのだ。今夜のターゲットを口説き落とす邪魔をされるいわれはない。
「人の恋路に口出すなんて、おまえらしくないぜぇ?ミック」
「え、や、ほら、カオリは、どうみてもヴァージンだろ?おまえに食われて傷つくならば、オレが救ってやろうと思ってさ」
「あ?初対面の女になぁんで執着するんだ?俺が女に何をしようが、おまえには関係ない。それに、おまえにはカズエ君だっけ?決まった女が出来たんだろ?忠犬はさっさとハウスに戻るんだな」
 手をひらひらさせて追いやると、ミックはしばらくのあいだ殺気を飛ばして睨みを効かせてきたが、そんなものは俺に通じないと気づいたのだろう。諦めたような表情で首を振った。
「わかったよ。オレはもう帰る。だが・・・リョウ、もう一度だけ言うが、カオリを傷つけるなよ」
「俺も、もう一度だけ言う。俺のオンナを呼び捨てにするな」
「わかったわかった。『オレのオンナ』ね。フン。記憶が戻ったリョウが聞いたらソットウ(卒倒)するだろうな」
「あ?なんだって?」
「いや、な~んでもないよ。んじゃ、オジャマムシは退散するよ~」
 ミックはそう言ってから、俺には聞き取れない言葉で何やらブツブツと呟きながら、店から出ていった。
 途端に、店内の漂うのは、チェットベイカーの歌声だけになった。

 さて。
 やっと邪魔者はいなくなった。
 ようやく香を口説ける。今回の依頼の報酬であり、今夜の獲物でもある美女。
 そう思うべきなのだが、なぜか落ち着かない気分になって、俺は、スツールの下で足をぶらぶらと揺らした。




つづく。


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あとがき。
4年半ほど前に番外編を公開したあと放置していた作品の続きになります。。。(*_ _)ペコリ
たぶんこのサイト内でいちばん手塩にかけてあたためているお話なので、ちゃんとラストまで公開したいという気持ちになりました。何度もこのお話に感想をくださった方々、本当にありがとうございます♡

最近SSばかり書いていたのですが、SSはお手軽でいいけれど、やっぱり長編はどっぷり浸かれる感じとか、じわじわと心が揺さぶられる感じとか、好きだな~と思いました。というわけで、しばらくの間は、このお話(&他の書きかけのお話)にどっぷりじっくり浸かってみようと思います(*^^*)

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テーマ : 二次創作:小説 - ジャンル : 小説・文学